カテゴリ:過去の記録( 3 )

Denali/Cassin Ridge in ALASKA, USA 【English Version by Naoko Tukauchi】

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We made an ascent of Mount Mckinley via Cassin Ridge in May/June of 2006. That year, the weather in Denali was bad, and the summit success rate by the normal route was lower than usual years.
Cassin Ridge is a classic route known to many people, but this route is not so technically difficult and yet it takes many days to complete the ascent. Maybe because of that, modern climbers may not be attracted to it so much. I don’t see many reports on Cassin Ridge.

I hope this report will be helpful to people who are planning to climb Cassin Ridge. This report was first carried in the December 2006 issue of GAKIJIN published by Chunichi Shinbun Tokyo Shuppannkyoku.

I can summarize 50% of Cassin Route is ice climbing, rock climbing is 20% for the upper part of Japanese Couloir and the first rock band. The remaining 30% is snow ridge/snow field/mixed terrain. This route is very long, and you have to have enough physical and mental strength. Skill-wise, you have to be a good all-round climber to be able to handle rock, ice and snow. It may sound like a matter of course, but recent alpine climbers, including myself, tend to excel in one type of skill, but not all of them.

Denali and Foraker in Kahiltna Glacier and nearby Ruth Glacier have plenty of moderate routes. Just like Yosemite serves as a good practice site for those who are aiming at big walls, climbers from various parts of the world come here in Alaska and horn their skills so they can take a bigger challenge elsewhere. I hope more Japanese climbers come to Alaska.

Super Topo publishes “Alaska Climbing” and I bought a copy in an outdoor shop in Anchorage. A PDF version is available for purchase over web. You can get detailed information of the route in the topo, so I focused my description to the activities of each day.

by dream8sue | 2006-06-11 16:44 | 過去の記録 | Trackback | Comments(0)

Denali/Cassin Ridge in ALASKA, USA

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2006年5月~6月にマッキンリーのカシンリッジを登って来ました。この年のデナリは天候が悪く雪も多いとの事で、ノーマルルートからの登頂率も例年より悪かったようです。
 カシンリッジは誰もが知っているクラシカルなルートですが、この手のルートは期間が必要なわりには、さほどテクニカルではないので、今時のクライマーには敬遠されているのでしょうか?あまり登っている人の報告を耳にしません。
 この報告が今後カシンを登る計画をお持ちの方にとって少しでも参考になれば幸いです。なお、この記録は、中日新聞東京出版局発行の「岳人」2006年12月号に掲載されたものと同じです。

 カシンルートの5割はアイス技術のルートと感じました。岩登りはジャパニーズクーロワールの上部と第1ロックバンドくらいで、ルート全体の2割程度ではないでしょうか。残り3割が雪稜・雪田・ミックスです。全体的には、とにかく長いルートなので、体力、精神力が不可欠です。技術的には岩、アイス、雪の総合力が必要です。まあ、当たり前と言えば当たり前ですが、私も含めて昨今のアルパインクライマーは一部の技術には優れていても総合力となると、どうかなというところがありますから。
 デナリやフォレイカーのあるカヒルトナ氷河はもとより、近くの?(もちろんセスナで)ルース氷河周辺にも、たくさん手ごろなルートがあります。ヨセミテが今やビックウォールのゲレンデと化しているように、ここも同様で、他のエリアへ挑戦するスキルを身につけるために、アラスカで技術を磨いていくようです。 もっと沢山の日本人クライマーにも登りに来て欲しいと感じました。
 トポはSUPER TOPOの“ALASKA CLIMBING”があります。私はアンカレッジのアウトドアショプで購入しましたが、WebでもPDFを買えるようです。ルートの詳細はトポでわかるので、行動概要のみ記載いたします。
     <期 間> 2006年5月11日~6月11日
     <メンバー> Sue(山岳同人かしまの会・群馬) 西村英樹(千種アルパインクラブ・愛知)
           
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 5月11日(木) 深夜バスで名古屋へ向かい、中部国際空港(セントレア)朝9:30の中華航空で
 SeattleからAnchorageへ。Anchorage着、こちらも朝8:30。宿泊先の「Midnjght
 Sun Express」からオーナーの加藤さんが出迎えに来てくれた。

  12日(金) 買出しとパッキング

   13日(土) Anchorage~Talkeetna(登山届け)~カヒルトナ氷河BC(Runing Point)
 Talkeetnaで、偶然にYosemiteで一緒だった山田達郎くん・佐藤祐樹くんに会い
 出発に際し激励のエールを受ける。さらに、氷河に降り立ったRuning Pointでは
 横山勝丘くん・一村文隆くんの2人にも会う。彼ら4人はアラスカでのクライミングを
 終え、継続で南米の山へ行くらしい(ROCK&SNOW33・34記録参照)彼らは、今
 の日本のアルパイン最前線で登っている4人だ。私も頑張らなくっちゃ!

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14日(日) BC(Runing Point)11:00~北東フォーク出会(標高2350m)17:00

   15日(月) 東フォーク出会10:30~カヒルトナパス手前の平原(標高2900m)14:30

   16日(火) カヒルトナパス手前の平原10:30~C11(標高3400m)14:30
 注:現地ではキャンプを標高の高さで呼んでいる。C11は標高11000‐foot

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   17日(水) C11発11:00~MC(メディカル・キャンプ標高4350m)17:00-18:00~C11帰着20:00 

   18日(木) C11にて停滞。 むくみがひどく、下痢ぎみ。

   19日(金) C11発12:00~MC18:00 途中のウィンディーコーナーは名前通り風が強い。

   20日(土) 〔晴れ~雪〕 MCにて停滞。顔のむくみがひどく、隣にいあわせた日本人(細野浩二くん)から利尿剤をもらって飲む。

   21日(日) 〔晴れ~曇〕 MC10:30~4900mのコル13:30-14:30~MC16:00 荷揚げのみ。

   22日(月) MC11:30~4900mのコル15:30~HC(標高5200m)19:00 荷物があると非常に苦しい。朝の血中酸素濃度は77

   23日(火) HC12:00~MC14:30へ下山

   24日(水) MCにて停滞。血中酸素濃度は82あるのに顔のむくみはひどく。息も切れる。

   25日(木) MC13:00~北東フォーク出会19:00へ下りる。はたして高度順化は出来たのか
 不安ではあるが、そろそろカシンルートへ向かわなければ。

   26日(金) 北東フォーク出会にてレスト。 生理が始まってしまう。顔のむくみもとれない。

   27日(土) 北東フォーク出会にてレスト。 顔のむくみがようやく良くなる。

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   28日(日) 〔晴れ〕 準備・高所順応登山・休養を含め17日間が経過した。順応登山では
 天気が2日~3日周期で変化している事がわかった。カシンリッジへのアプローチ
 は、この北東フォークカから入る。余分な荷物はここにデポしておく。最初は平坦
 な雪原歩きだが、だんだん雪が深くなりラッセルが始まる。ウエスタン・リブ取付き
 下からクレパス帯が始まる。リブ取付きまでは標識用の竹棒がルートを導いてく
 れたが、リブ取付きを過ぎると竹棒もなくなり、ヒドンクレパスにはまる事が増える。
 片足はまりは数回、半身まで落ちたときはさすがにヒヤッとした。まるで地雷原の
 ようなクレパス帯に神経をすり減らし、ようやくクレパス帯が終わった雪原で幕営。
 【タイム】北東フォーク出会8:30~クレパス帯終了地点の雪原19:00
  

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   29日(月) 〔晴れ〕 ジャパニーズクーロワールの取付きまでは、さらにプラトーをひと登り
 して取り付く、クーロワール下部はハングしたセラックになっているので、左から
 取り付き、右上すること3Pでクーロワールの中に入って行く。TOPOと違うが、年
 によって下部形態がちがうのだと思う。午後の時間帯ということもあり、クーロワー
 ルの中は落石が非常に多い。傾斜は部分的に70度くらいが1、2箇所あるが、他
 は50度~60度くらい。ただ、50mいっぱい伸ばしてもテラスはないので、カッティ
 ングして、片足ずつ足を横にして休める感じなので、ふくらはぎが痛い。
 【タイム】幕営地10:30~ジャパニーズクーロワール取付き13:30~カシンテラス23:30

  
   30日(火) 〔雪~吹雪〕 5・8ミックスを含む岩登りを3Pこなし、両側が切れ落ちたナイフリ
 ッチを8Pほどこなす。朝からちらちらしていた雪が風を伴い、吹雪となる。晴れて
 いれば、このナイフリッジは高度感があり最高の絵になるピッチかと思う。ナイフ
 リッジが終わり大セラック下の斜面にビバークサイトを探す。
 【タイム】カシンテラス12:00~大セラック下の幕営地19:00 

  
   31日(水)~6月 1日(木) 〔雪~夜間くもり~晴れ〕前日からの雪は朝になっても断続的に
   降り続いている。停滞した方が良いとする私と、少しでも先に進めたいというパートナーとの意
 見の相違で言い合いになる。が、最終的に登ることにする。
  第一雪田に出るには、立ちはだかる大セラック帯を越えなければならない。TO
 POでは懸垂下降して、大きく左を巻いているが、セラック左端がややハングして
 いるものの何とか超えられそうなので、ザックを置いてリードする。頭を氷に押さえ
 つけられながら、きわどいバランスでトラバースし、ハングの切れ目からハング上
 に這い上がり、スクリューを3本打って、ザックの荷揚げをする。それでも懸垂して
 大巻きするより早く第1雪田に上がれたと思う。第1雪田をコンテでラッセルし、第
 1ロックバンド取付きのクレパスの中にテントを張る。他に最適な場所も見当たら
 なかった。雪は弱くなったり強くなったりを繰り返しながらも降り続いていた。
  寝る準備をしていたところ、21:42頃に、小さな雪崩が我われのテントを襲った。
 幸いテントのファスナーが壊れたくらいで、何ひとつ道具を失うことはなかった。
 しかし、その後、仕方なく第1ロックバンドの夜間登攀に入る。白夜とはいえ深夜
 はかなりの寒さ(おそらく零下20度~30度)である。おまけに岩場のセクションは
 時間がかかり、ビレイ中に私の指は凍傷になってしまった。 「もう抜けるだろう、
 もう抜けるだろう」と思いながら、ザックの中に持っていた羽毛ミトンを使わなかっ
 たのが良くなかった。朝方、岩棚に腰掛けフライを被って2時間ほど休んだ時に
 は指が紫色になっていた。14:00くらいに、ようやく第1ロックバンドと第2ロックバ
 ンドの中間にある、ミックス稜に無理やりテントを張って、ひたすら眠る。
 【タイム】大セラック下の幕営地11:00~第1ロックバンド下(雪崩現場)22:00~
 第1ロックバンド70度ミックス壁(おそらく2:00)~第2ロックバンド下幕営地14:00
  
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   2日(金) 〔晴れ〕 第2ロックバンドはいくつかルートが取れる。私達は岩の間に発達し
 た急なルンゼを繋げることにした。そのためルートが大きく蛇行する。労力のわ
 りには高度が上がらない。
 【タイム】第2ロックバンド下幕営地10:30~第2ロックバンド上部クーロワール21:00
 

 
    3日(土) 〔晴れ:強風〕 第2ロックバンドから第2雪田に抜ける。ここからは技術的には
 さほど難しくないが、第1雪田とは異なり、強風の影響で表面がバリバリの雪で、
 傾斜もあるので侮れない。第3ロックバンドの裏にある大クーロワールをめざして
 第2雪田を大きく右へトラバースする。大クーロワールは斜度50度、高度差300m
 で、今年は膝から俣くらいの深いラッセルになり、疲れた身体にはこたえる。この
 クーロワールは年によっては蒼氷に覆われ、スタカットで登られる事もあるようだ。
  ようやくコルに出たが、ここは耐え難い強風が吹き抜けるところで、岩影を削り
 ビバークするが、テントの半分が空中に浮いていた。ロックバンドに入ってから、
 この3日間は、2人が横になるスペースが確保できず、座ったままでうとうとする程
 度なので疲れが取れない。おまけに食料不足と高度の影響が加わり、私の指は
 すでに4本の指が色が変わってしまった。
 【タイム】第2ロックバンド上部クーロワール9:30~コル14:00

  
    4日(日) 〔晴れ〕 風は朝方には少し弱まったが、疲労と寒さでなかなかテントから出られ
 ない。今日こそは登頂するぞ!と気合をいれミックスの稜線を歩きだす。稜線は
 支稜をともなうようになり、やがて大きな雪壁が現れる。雪壁上部は傾斜もあり気
 が抜けない。まだかまだかと思いながら、さらにミックスの雪稜を40分から1時間
 進むと、待望のカヒルトナホーンに飛び出した。カシンリッジを登り終えた事にな
 る。2人で抱き合いながら互いの労をねぎらった。空身でデナリピーク(6194m)を
 往復し、一般ルートでハイキャンプ(5300m)まで駆け下った。
 【タイム】コル9:30~カヒルトナホーン18:30~デナリピーク19:00~HC着21:30  

  
    5日(月) 〔晴れ〕 あわよくば今日中に北東フォーク出会いまで下山できると思い、気分
 は上々だ。だか、下山にかかると、思ったよりも体が疲れていることに気づく。でも
 後は下るだけだから、とのんびりモードだった。ところが、メディカルC(4350m)で
 簡単なファースト・エイドだけしてもらい、さっさと下山しようと思いながら寄ったと
 ころ、ドクターに指をドラエモンのように包帯を巻かれ、2人だけで下山することは
 許可できない。とドクターストップがかかってしまった。翌日、レンジャーがアレン
 ジしたガイドパーティーと一緒に下山することになってしまった。強引に自分たち
 だけで下山してレンジャーともめるのもまずいと思い、仕方なくガイドパーティー
 に混ざり、彼らにアシストされる形となってしまった。今シーズン初のカシン完登
 パーティーと気を良くしていたのに、とんだ落ちがついてしまった。
 【タイム】HC(C17)14:00~MC(C14)17:30

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    6日(火) 〔雪~吹雪〕 レンジャーステーションの前でマルコ・プレゼリに会う。彼らもこれ
 からカシンを登りに行くらしい。アラスカは彼らにとっては良いトレーニング程度の場所なのだ。
大所帯のガイドパーティーの動きは遅い、天気も悪く、メディカルC
 よりひとつ下のC11(3400m)で泊まる。
 【タイム】MC15:00~C11 18:30 

  
    7日(水) 〔雪〕 思わぬところでアラスカのガイド登山を体験。オヤジ達ばかりの中で紅一
 点。皆なSueスー。スー。と可愛がってくれる。こんなにもてたのは何年ぶりだろう
 【タイム】C11 12:00~BC(Runing Point)17:00


    8日(木) 〔曇り〕 昼頃、お迎えのセスナにてタルキートナーに帰着。タルキートナーの
 セスナ基地で毎年?気象観測登山隊で来ている、大蔵喜福パーティーに会う。
  「Midnjght Sun Express」の加藤さん(奥様)に迎えに来てもらいAnchorageへ。


    9日(金) 加藤さん(奥様)に付き添っていただきAnchorageの病院へ行く。海外の病院で
 診察を受けるのは初体験。TVドラマの「ER」みたい。


   10日(土) 帰国準備


   11日(日) 中華航空のチケットはキャンセルし、成田行のノースウェスト航空の便で帰国。
 成田空港には千種ACの瀧根正幹氏が出迎えてくれた。

  翌12日~7月10日まで凍傷の治療のため、群馬の藤岡総合病院に入院する。

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by dream8sue | 2006-06-11 14:07 | 過去の記録 | Trackback | Comments(0)

Aconcagua in ARGENTINA (アコンカグア単独高所登山)

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12月 9日(金) 成田17:15発~Toronto20:45  

12月10日(土) サンチャゴ10:30着  市内のホテルに宿泊

12月11日(日) サンチャゴ9:30のバスでアルゼンチンへ。Mendoza着16:30。民宿アコンカグアのスサナさんが迎えに来てくれる。

12月12日(月) 登山許可申請、買出し

12月13日(火) パッキング

12月14日(水) Mendoza10:15(バス)~登山口レンジャーステーション15:30~コンフルエンシア20:00

12月15日(木) コンフルエンシア(標高3368m)停滞

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12月16日(金) 高度順応のため南壁BCのプラサ・フランシアへ往復する。南壁は迫力があった。コンフルエンシア9:00~プラサ・フランシア15:30~コンフルエンシア18:30

12月17日(土) コンフルエンシア停滞

12月18日(日) コンフルエンシア8:30~BCのプラサ・デ・ムーラス(標高4260m)19:30 11時間かかる。

12月19日(月) BC停滞

12月20日(火) BC停滞 BCから20分の所にあるホテルでコーヒーを飲みながらハガキ書き。

12月21日(水) 高度順応。BC10:30~キャンプカナダ13:00~C1ニド・デ・コンドレス15:30~BC17:30
12月22日(木) BC停滞

12月23日(金) BC12:00~C1(標高5350m)18:00 C1のニド・デ・コンドレスは風が強く、強風に苦戦しながら1人でテントを張っていたら、レンジャーが見かねて手伝ってくれた。

12月24日(土) C1発10:30~C2ベルリンキャンプ(標高5780m)13:30 C2はC1より風が無く快適。

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12月25日(日) C2発6:30~山頂(標高6959m)16:00~C2着20:00 登り9時間30分。下山中にものすごい睡魔に襲われ、インデペンデンシア小屋で30分程、横になって休んだ。

12月26日(月) C2発11:00~C1(12:00-15:00)~BC17:30 C1で、夫の命を奪った2004年のアンナプルナ峰の事故から生還した山本季生君と会い談話する。私たちは壮大なアコンカグアの景色を見ながら時間を忘れて語り合った。その彼も2010年9月28日にダウラギリⅠ 峰をクライミング中に雪崩にあい、行方不明となった。

12月27日(火) BC停滞

12月28日(水) BC停滞 顔の浮腫み引けないので下山することに決める。

12月29日(木) BCよりプエンテ・デル・インカへ馬で下山。石だらけの路を歩く馬が愛しく感じた。

12月30日(金) プエンテ・デル・インカ(バス)~Mendoza 

12月31日(土) Mendoza観光後、チリに移動し、イースター島へ行く。1月14日に日本に帰国。


Aconcagua in ARGENTINA (Solo high altitude climbing)

I climbed Aconcagua by solo on Desember 2005. Aconcagua is the highest mountain in South American, at 6,960.8 m (22,837 ft). Following is a my climbing record of Aconcagua.

Dec. 9 Narita, Japan 17:15 ~ Toronto, Canada 20:45

Dec. 10 Toronto, Canada ~ Santiago,Chile 10:30 Stay at hotel in Santiago.

Dec. 11 Santiago, Chile 9:30 by bus ~ Mendoza, Argentina 16:30. Ms.Susana from the guest house Aconcagua pick me up.

Dec. 12 Obtain climbing permition. Go shopping.

Dec. 13 Packing.

Dec. 14 Mendoza 10: 15 (bus) ~ Ranger Station at trailhead 15:30 ~ Confluencia (3,380m /11,090ft): The camp site 20:00

Dec. 15 Stay at Confluencia

Dec. 16 Make a round trip to Plaza Francia of south wall for high altitude acclimatization. Confluencia 9:00 ~ Plaza Francia 15:30 ~ Confluencia 18:30. South wall of Aconcagua is great!

Dec. 17 Stay at Confluencia.

Dec. 18 Confluencia 8:30 ~ Plaza de Mulas (4,370m/14,340ft): Base camp 19:30. It takes 11 hours.

Dec. 19 Stay Plaza de Mulas : BC.

Dec. 20 Stay Plaza de Mulas : BC.
Writing pstcard at the hotel which is located 20 minutes from the BC.

Dec. 21 BC 10:30 ~ Camp Canadá (5,050m/16,570 ft): A large ledge overlooking Plaza de Mulas. 13: 00 ~ Nido de Cóndores (5,570m/18,270ft): Camp1 15:30. There is usually a park ranger camped here. ~ BC17:30

Dec. 22 Stay Plaza de Mulas : BC.

Dec. 23 Go up! BC12:00 ~ C1 18:00.
Nido de Cóndores : C1 was very windy. When I was assembling my tent while struggling by strong winds, park rangers helped me.

Dec. 24 C110:30 ~ Camp Berlín (5,940m/19,490ft): Camp2 13:30.
The classic high camp, offering reasonable wind protection. C2 is more comfortable than C1 because it is not windy.

Dec. 25 C2 6:30 ~ Summit (6,960.8m/22,837ft)16:00 ~ C2 20:00. For climbing time 9 hours and 30 minutes. Total time 13 hours and 30 minutes.
I felt a tremendous sleepiness during the descent, so I rested by lying down about 30 minutes in the Independencia hut (6350m) which is located above C2. However, Independencia hut is seldom used and offer little protection.

Dec. 26 C2 11: 00 ~ C1 12:00-15:00 ~ BC17: 30
I met Mr.Yamamoto who survived in the 2004 accident of Annapurna in Himalaya. But he did missing in avalanche in Dhaulagiri (8167m) on September 28, 2010. We talked a lot with forget the time in the magnificent scenery. It is a wonderful memory for me.

Dec. 27 Stay Plaza de Mulas : BC.

Dec. 28 Stay Plaza de Mulas : BC.
My face edema not getting better, that why I decided to descent.

Dec. 29 Go down to Puente del Inca (2,740m/8,990ft): A small village on the main road, with facilities including a lodge by horse. I was getting dear to the horse, because the horse which put me walked the trail of very stony.

Dec. 30 Puente del Inca (bus) ~ Mendoza

Dec. 31 After sightseeing Mendoza, I moved to Chile, and flew to Easter Island (Spanish: Isla de Pascua). And I finally got back to Japan in January 14 2006.


アコンカグアの風(2005年アコンカグア登頂記)

何で私はここにいるのだろう?と民宿アコンカグアの天井を見つめながらふと思う。出発の1ヶ月前に急にアコンカグアを登ろうかなぁーと思いたち、航空券の手配だけをして準備もトレーニングもろくにせずにアルゼンチンに来てしまった。
 
2005年10月に夫の一周忌を終わらせ、これからどう生きようかと思った時、親も子もいない私には、山を登ること以外の選択肢が見つからなかった。

 私の登山暦は20歳の時に職場のレクリエーションで行った富士山から始まった。その後は多くの岳人が歩むセオリー通り、夏山のピークハントや縦走に明け暮れた。23歳の時に地元の山岳会に入り岩登りや冬山登山を知る。そして、その時から今日に至るまで私の登山は“攀じ登る”山であった。岩登りのスリリングでいてエキサイティング、繊細でいて爽快な魅力に取り付かれてしまってからは、尾根歩きはほとんど行かなくなった。ピークハントにも興味がなくなった。だから、標高が高いだけの山にお金と時間を費やす事は私にとってナンセンスな事であった。しかし、高所登山から足が遠のいた理由は、単に“攀じ登る”行為が好きだからというだけではなかった。過去において高所登山にありがちな遠征隊のもたらす弊害を経験したのも、その一因であった。

 1989年にネパールにある8000m峰、マナスル登山隊に夫とともに参加した。夫が行っている高所登山とはどんなものなのか。また、私自身も登山界の末席に身を置く者として一度はヒマラヤ登山を体験してみたかった。その二つの理由から登山隊へ加わった。夫婦で払った自己負担金や経費は200万円ちかかった。しかし、大金を払いながらも、その高所登山から得たものは少なかった。登山行為そのものよりも、登山隊という組織登山への順応を強いられた。隊長の意思が登山隊の意思であるがごときの縦社会、日常生活でのいたる部分での同一行動への疲れなど、私にとってそれは登山の魅力を半減させるものであった。私の登山スタイルとは違うものを感じた。それ以来、私は高所登山から遠ざかり、もっぱらヨーロッパやアメリカの大岩壁を登ることに集中してきた。
 それなのに何故、今更アコンカグアを登りに来たのだろう。夫が命を掛けて行なっていた高所登山の魅力は何なのかを知るため?夫の軌跡の山をさ迷いながら自分の死に場所を求めているのかもしれない。実のところ私にも自分を動かしている動機が何なのかよくわからない。

日本ヒマラヤ協会の山森欽一さんが、最近の高所登山の変わり様について、高所登山と高所ハイキングが混在していると言っていた。ツアー登山やポーターに個人装備まで運んでもらい、ガイドに案内されての高所登山は、高所ハイキングだと言う。私は16年ぶりの高所登山であるが、少なくても高所ハイキングにならないようにすべて自分の力で行いたかった。とは言うものの、スペイン語の壁があるため、ムーラの手配や登山申請など、細部にわたり民宿アコンカグアの増田ファミリーにお世話になった。いえ、そんな事務的なことよりも、10年前に母を亡くし、8年前に父を亡くし、昨年、夫を亡くした私にとって、増田ファミリーが私を家族のように扱ってくれたことが何より嬉しかった。このままアルゼンチンに留まりたいという衝動に駆られるほど、今の私に必要なものがここにはあるような気がした。今の日本には決して無いものが・・

登山そのものは、16年ぶりに“高所順応テクニック”を思い出すことが出来た。日本出発時に高所登山経験者から3000m、4000mでの低いところの順応に時間をかけた方が良いとのアドバイスを受けた。そのようにアプローチで泊まるコンフルエンシアやBCのプラサ・デ・ムーラス(4260m)では長く滞在した。しかし、BCから上部に関しては、C1のニド・デ・コンドレスに一度だけ順応で日帰りしただけで、次の時点ではテントを担いでゴーアップ体勢で登っていた。
当初、上部サイト(C1・C2)で最低1泊か2泊して高度順応を図る予定でいたが、BCで現地のポーターや外国隊の登山者との会話のなかで、高所順応と高所疲労は紙一重であるとの話から、高所での滞在日数を減らすべく、一気にアタックをかけるタクティクスに切り替えた。8000mの山ならば十分に6000m、7000mの標高に体を慣らす必要があるだろうが、6959mのアコンカグアの場合、疲れる前に登ってしまうことで何とかなった。もちろん個人差があるので、このタクティクスが正しいやり方とはいえない。実際、私はこのタクティクスで登頂はしたけれど、BCに降りてから反動で浮腫みがでてしまった。

ルートの核心はやはり山頂直下の100m~200mであろう。希薄な酸素の中での登行、まさに“高所登山の核心は高さ”この一言に尽きる。6500mを過ぎた辺りから急に足が上がらなくなる。10歩あるいては息を整えるという苦しい作業の繰り返し。山頂はまだかまだかと上を仰ぎ見る。こんな苦しい登山を夫は何十回と行ってきたのかと、改めて夫の登山姿勢に思いを馳せる。そして、やはり私の愛した人はすごい男だったのだと気づく。

山頂で夫の遺灰を撒く。アコンカグアの風が彼の遺灰をアンデスの山々へ運んでいった。アコンカグアを登ってよかったと、この瞬間に感じた。夫が登った同じ山の頂に立ち、きっと彼が登らせてくれたのだと感じた。
2005年のアコンカグア登山は登山というより感傷旅行のようなものであった。でも、そこには沢山の素敵な出会いがあり、人生は人と関わることなのだと痛感した。
生前、よく夫と互いの山登りについて話をした。「俺の山の事より、お前はお前の山登りを完結しろよ」と彼に言われたことがある。「そう、今は山を登ろう。自分の山を登ろう。」私はアコンカグアの風の中で、そうつぶやいた。


Aconcagua climbing report 2005

【Translation by Naoko Tukauchi】


“Why am I here?” I wondered looking at the ceiling of a room in a guest house in Aconcagua. One month before departure, I suddenly thought about climbing Aconcagua, and arranged air tickets and came here without doing much preparation or training.
October 2005, I finished the first anniversary of my husband’s death. Having no family, I could not think of anything else than climbing mountains as my objective of life.

The list of my climbs begins with Mount Fuji at the age of 20. It was an excursion trip of my work place. After that, just like many mountaineers do, I spent all my time climbing and traversing mountains which are not snowy. When I was 23 years old, I joined a local mountaineering club, and started climbing in the winter. Since then, my mountain climbing was “climbing and scrambling.” I was so much attracted to rock climbing, which is thrilling and exciting, delicate and refreshing. I seldom walked mountain ridge trails. Making summit didn’t interest me. So, it didn’t make sense to me to spend a lot of time and money on climbing mountains just for high altitude. The reason why I stayed away from high altitude mountains was not just because I liked rock climbing. I had experienced a harmful effect of large expeditions in the past.

In 1989, my husband and I joined an expedition to climb Manaslu, as 8,000er. I wanted to know what a high altitude mountain is like as it was something my husband was doing. Also, I wanted to climb a Himalaya mountain myself, as a person staying, although marginally, in the circle of serious mountaineers. Those are the two reasons why I joined the expedition. Together, we paid close to 2 million yen for an expense. However, I gained very little from this experience, for what I paid. I was forced to adapt myself to the expedition style of climbing. Hierarchical society where the chief of expedition makes decisions for the entire group, and acting in the same way in every aspect reduced the joy of mountaineering. I felt it was not my style of climbing. Since then I involved myself in climbing big walls in Europe and the United States.

Why now, have I come to climb Aconcagua? To find out the attraction of high altitude mountain climbing for which my husband risked his life? Maybe I was looking for a place to die, while wandering the area where my husband left his trace. I did not know what was driving me.


Mr. Kin’ichi Yamamori from Japan Himalaya Association commented that recent high altitude mountain climbing is a mixture of high altitude climbing and high altitude “hiking”.
According to him, a guided high altitude mountain tour with all the personal equipment carried by porters is a high altitude “hiking”. Although it’s been 16 years since I climbed a high altitude mountain last time, I wanted to do everything myself this time. Spanish language was a problem, though. Family Masuda from the guest house Aconcagua helped me in any way from the arrangement of mule for carrying my stuff, and for getting a climbing permit application. Rather than the administrative assistance, the way they treated me like their family member touched me deeply. I thought it would be nice if I never have to leave Argentine. Maybe here I can find something I was looking for, something I can never find in Japan.

The climbing itself—I could remember the high altitude acclimatization technique. Before I left Japan, I was advised to spend enough time acclimatizing in low altitude like 3000~4000m. I stayed long time in Confluencia along the approach, and Plaza de Mulas (4260m) where BC is located. However for BC and above, I just went to Nido de Condores at C1, and came down on the same day. Next time, I carried a tent on my back, and started climbing to reach the summit of Aconcagua.

My original plan was to stay a couple of nights at C1 /C2 and acclimatize. While talking with local porters and foreign climbers at the base camp, I realized there is a fine line between acclimatization and exhaustion. I changed my tactics to minimize the time spent at high altitudes and attack the mountain in one push. If the mountain is as high as 8000m, I would have to acclimatize my body to the height of 6000m and 7000m. Aconcagua is 6959m however, and I could reach the summit and come back down safely before I was really tired. I can’t say this tactics is always right, because it depends on each individual. In my case, this tactics worked, but I suffered from edema afterwards at the base camp.

The crux of the route to the top was the last 100m ~ 200m below the summit where I had to climb in the thin air. The crux of a high altitude mountain climbing is really high altitude itself. After I passed 6500m altitude, I had difficulty lifting my legs. Walk 10 steps, stop and catch my breath and repeat this process. Look up at the summit many times. I think of my husband. He made this difficult climbs dozens of times and I realize once again my beloved husband was a great guy.

I scattered ashes of my husband at the summit. The wind blew and carried the ashes to the Andes. At that moment, I felt really good about climbing the Aconcagua. Standing on the top of the mountain just like my husband did before, I felt my husband helped me climb this mountain.

My Aconcagua climb in 2005 was more like a sentimental journey rather than a mountain climbing. But I had many wonderful encounters with people, and that is the essence of life.

My husband and I often talked about mountain climbing when he was still alive. I remember once he told me, "Sue, you should pursue your own climbing, rather than supporting my climbing."
" I will climb mountains for myself, in my own style." I said to myself, standing on top of the windy Aconcagua.

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by dream8sue | 2005-12-31 16:06 | 過去の記録 | Trackback | Comments(0)